1950-03-29 第7回国会 参議院 懲罰委員会 第2号
こういう名前を挙げて宣言をいたしますると、その人は直ちに守衞長によつて室外に拉致されるということができるようになつておる。事実はないかも知れませんが、守衞長がみずからその時にこそ自分達の仕事が起る。こう言つておりました。こういうことが物語になつておるくらいでありますから、結局実態は平穏無事に行つておるというふうに存じました。一面において非常に訓練がよく行き届いておると、こう思いました。
こういう名前を挙げて宣言をいたしますると、その人は直ちに守衞長によつて室外に拉致されるということができるようになつておる。事実はないかも知れませんが、守衞長がみずからその時にこそ自分達の仕事が起る。こう言つておりました。こういうことが物語になつておるくらいでありますから、結局実態は平穏無事に行つておるというふうに存じました。一面において非常に訓練がよく行き届いておると、こう思いました。
その建物或いはその建物の敷地、構内において、何か毀損する、或いは法規に違反する行為を行なつた者がある場合には、守衞長は直ちにこれを逮捕して正当な裁判に引渡せということに、向うから貰いました資料には、法規に定まつておるということはありました。
その代り守衞長と申しますか、サージエント・アツターム、これはこちらでは守衞長という観念が非常に低く考えておりますが、向うの守衞長というのは非常な権威のあるものでございますから、これが議場内に着席しておりますのを見ましただけで、その他議員場内に警備のための人員が配置されるというような状況は見ませんし、事実その必要はないだろうと思います。
次に田村角太郎は、昭和六年十二月に中央大学法律学部を卒業いたしまして、貴族院の属になり、それから貴族院守衞副長、守衞長、それから理事官になりまして、昭和二十一年には書記官となつて、一應退官いたしまして、今嘱託として在勤しておるのであります。昭和二十二年に法制部に移つて、現在の法制局に引続いて勤務いたしておる者でありまして、これは二級官たる資格があるということであります。
その人は守衞長だとは言いませんで、守衞副長というようなことを申しまして、そうしてあの人だ、こう守衞から指されましたが、それでその人に私はさつき申しましたような釋明をいたしたのであります。その日には眼鏡をかけておいでになりませんでしたし、その方はネクタイを取つておいでになつたことを私は記憶しております。